人は身に病があると、この病がなかったらと思う。その日その日の食がないと、食って行かれたらと思う。万一の時に備える蓄がないと、少しでも蓄があったらと思う。蓄があっても、またその蓄がもっと多かったらと思う。かくの如くに先から先へと考えて見れば、人はどこまで往って踏み止まることが出来るものやら分からない。それを今目の前で踏み止まって見せてくれるのがこの喜助だと、庄兵衛は気が附いた。

森鴎外『高瀬舟』
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森鴎外の名言

どこまで行けば、踏みとどまれるのか

出典
『高瀬舟』『中央公論』掲載(1916年1月)
確認
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この言葉の背景

京都の高瀬川を下る罪人の護送船で、同心の庄兵衛が、島流しになる喜助から話を聞く場面です。牢で食べさせてもらえ、二百文の銭までもらえたことをありがたがる喜助を見て、俸給があっても足りないと思う自分の暮らしと引きくらべ、欲には終わりがないことに思い至ります。

今日の生かし方

「あれさえあれば」と思っているものを一つ書き、その横に、すでに手にしていて一年前の自分なら欲しがったものを三つ書いてみてください。踏みとどまる場所が少し見えてきます。

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